最高裁判所第三小法廷 昭和23年(れ)13号 判決 1948年3月30日
主文
本件上告はいずれもこれを棄却する。
理由
被告人鈴木政雄同松山具市同潭田溶孝の各辯護人石橋三二の後記上告趣意に對する判斷は次のとおりである。公判は被告人が出頭しなければ原則として開廷できないことは、刑事訴訟法第三三〇條の規定するところであって、裁判の実際においても公判は被告人が出頭したときに開廷されるのが常例であることは何人も疑わない。公判が開かれて審判が行われたことが公判調書に記載されてあれば、被告人の出頭したことも一應推定されるのである。そこで、刑事訴訟法第六〇條は、被告人が出頭したことを公判調書の記載事項としないで、被告人が出頭しなかったときにそのことを公判調書に記載すべきこととしたのである。されば、公判調書に被告人の出頭したことが記載されてなくとも反證のないかぎり被告人は出頭したものと認めなければならない。また、被告人は公判廷で身體の拘束を受けないことも刑事訴訟法第三三二條の規定するところであって、このこともわが国で間違いなく実行されているので、刑事訴訟法第六〇條はこれを特に公判調書の明示的な記載事項としていないのである。從って、公判調書にそのことが明記してないからとて、直ちに被告人が公判廷で身體の拘束を受けたものと認むべきではなく、むしろ公判調書の他の記載から被告人が身體の拘束を受けなかったことが推定されれば、公判調書上おのずからそのことが明かにされているものと言わなければならない。そして、これは公判調書の記載自體から判斷するのであるから、刑事訴訟法第六四條に違反するものではない。
本件について、記録を調べてみると、昭和二十二年十一月四日の原審公判調書には「檢事米野操立會公判ヲ開廷ス辯護人石井平雄出頭ス裁判長ハ判決ノ宣告ヲ爲ス旨ヲ告ケ判決主文を朗讀シ云々」と記載してあって、被告人が出頭したかどうか、被告人が身體の拘束を受けなかったかどうかについては、何ら明示的な記載のないこと所論のとおりである。しかし前述した理由から記録上反證のない本件においては被告人は前記公判期日に出頭したものと認むべきであり、また被告人の身體の拘束については、立會の檢事又は出頭した辯護人から異議の申立がされた形跡も公判調書に見えないのであるから、被告人は右の公判廷で身體の拘束を受けなかったものと認めなければならない。されば、原審の訴訟手續には所論のような違法はなく、論旨は理由がない。なお、辯護人石井平雄の上告趣意書は提出期間經過後に出されたものであるから、これについては判斷しない。
よって、刑事訴訟法第四四六條により主文のとおり判決する。
この判決は裁判官全員の一致した意見である。
(裁判長裁判官 長谷川太一郎 裁判官 井上登 裁判官 庄野理一 裁判官 島 保 裁判官 河村又介)